採用前の研修に行ってきました(道徳)
道徳は「価値を自覚するもの」
金を稼ぐ=悪といった風潮
こういうのは今の学校ではあるんでしょうか?
僕が学生時代だったころは、なんとなくあった気がします。
ボランティアは良くて、金をもらうのはなんとなく汚い。
それは思春期特有の大人への不信感みたいなものだったかもしれません。
今日こんな記事を読みました。
素人だけど教育制度について語ってみる | More Access! More Fun!
前半の政治関連の話は置いておいて・・・
(早く年金制度を見直して、少なくとも払った分はもらえる制度にしてくれ~)
うんうん、とうなずいたところがあります。
金を正しい方法(ココ大事!!)で稼げる人は直球で偉いのです。
で、たくさん税金を払う人が偉い。税金は他人のために使われる。税金をたくさん払う人は人のためになってるのです。だから薄給の高学歴のメーカー勤務の人より、大入り満員で税金をたくさん払ってるシェフのほうが偉い!!これ、当たり前。ただし不正なことや詐欺まがいで金稼ぐヤツは人間のクズ!
したがいましてわたくし、日本の教育制度の根幹は正しい金の稼ぎ方をちゃんと教える
という事から始まると思うわけです。今の教師は全員できません。だってみんなその才能ないし興味も無いし、実績も無いから。
当然ながら、世の中はお金と仕事の交換で成り立っています。
仕事(価値)があるから、お金を払う。
お金を払うから、仕事(価値)をしてもらえる。
その循環の上に、僕らの生活が成り立っている。
僕は「お金を稼ぐ」ということは「誰かの役に立つ」ということだと言い換えます。
「誰かの役に立つ」から、そこに価値が生まれる。
誰からも必要とされなければ、お金を払ってくれる人はいませんよね。
僕は、自分の生徒たちには「誰かの役に立てる人」になってほしいと思っています。
同時に「誰かの役に立ったことを素直に喜べる人」になってほしい。
確かにお金は仕事の対価です。
でも仕事の対価が"全て"お金で返ってくることは、ほとんどないといっていい。
だからこそ「誰かの役に立つ喜び」を感じられないと、続けていけないと思います。
(もちろん仕事のプライスレスな喜びはこれだけじゃないと思っているけど。)
実際に生徒たちが「誰かの役に立てる人」になるために、どのような実践をしなくてはいけないのか、これから一生懸命考えていきたいです。
別れ話をしてきました。
今日、退職を願い出たことで部長に呼ばれた。
すでに直属の上司を通じて事情は話していたので、改めて意思確認といった感じだ。
できれば退職は取りやめて欲しいとのことだったが、やはり部長も何度か転職しているのもあり、僕がどんな気持ちで退職願を出して、それがすでに心が決まっているという意思表示であることはわかってくれていた。
僕もチャンスがあれば、教育に携わる仕事をしたいと考えるようになったことを素直に話すことができた。
部長の人柄は割と好きなタイプである。
頭の回転が速く、厳しいところもあるが、冗談が通じる明るい人だ。
今回の僕に対する態度も人によってはドライに感じるだろうが、そういった客観的な態度で接してくれるのは個人的には心地よい。
その部長が、僕と一緒にもっと働きたいと言ってくれている。
やはりこういった人の気持ちを裏切るのは、心苦しい。
とはいえ、僕にも譲れないものがある。
子供たちが将来他の誰かを幸せにできるような大人になってほしいから、教師として子供たちの成長に携わりたい。
そして今、そのチャンスを掴んでいる。
・・・それでも少し迷ってしまう自分がいる。
就職はよく、恋愛や結婚にたとえられる。
ともすれば退職は、別れ話や離婚といったところか。
きっと、3年前に他の男が好きになったからといって別れ話を切り出してきた元カノもこんな気持ちだったんだと思う。
いや、頼むからそうであってくれ・・・。
次は社長との話になる。
改めて、自分がなぜ会社を辞めてまで教師になりたかったのか、考えてみようと思う。
弟が会社をクビになった。
弟が会社をクビになったらしい。
昨日、母親から電話があり、2歳年下の弟が勤めている運送会社を辞めされられるという話であった。
僕の弟は、いわゆるコミュ障というやつで、何かを言われても言い返せず、どもってしまう。
口数も少なく、何を考えているのかよくわからない。
子供の時は、いじめられても言い返せず、フラストレーションが溜まり、急にキレてしまうことも多かった。
弟は勤め始めのころは、周囲との関係も悪くなく、特に問題なく仕事をすることができていた。
しかし、最近異動になった部署ではミスが続き、上司との関係も上手くいっていなかったことは、少し前から聞かされていた。
それが今回、最後通告という形になってしまったようだ。
実は以前から両親に対しては、弟が発達障害だったのではないかという話をしていた。
教員採用試験に向けて改めて勉強をするなかで、症状的には高機能自閉症に近いものを弟に感じていたからである。
とはいえ専門家ではない自分が診断することはできないので、あくまで可能性の話である。
昨日電話で母と話をしたところ、一度ちゃんとしたところで話を聞いてくるとのことだった。
弟のほうも多少は自覚があるようだ。まぁ、普通に隣の部屋で発達障害の話してたからな。
まずは両親が話を聞きにいくことからはじめようとしている事を、僕も支持をした。
母は中途半端に知識を得ていたから、ああじゃないか、こうじゃないか、こうしたらいいんじゃないかと言うのだが、何もわからない状況で判断をすることは良くないとたしなめておいた。
1次産業、2次産業が廃れて、サービス業が主流になる現代社会で、弟のような人間がまともに就職できるかは正直わからない。
しかし、今まで彼が彼なりに努力して今日までやってきたことを、兄である僕はただ信じることしかできない。
年末になったらゆっくりと話を聞こう。
何かを話してくれるとも思わないけど、その沈黙を聞きにいこう。